イカリブログ

碇太助が日々思う事や気付いたことを記事にするブログです。社会問題・衣食住・子育て・人間関係・いじめ等を取り扱います

碇太助の日々思うがままブログ

イジメを「子供同士で解決しろ」と言うのはナンセンス

「傷つけ合って成長する」の嘘

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前回記事で、現状がいかにイジメ加害者に都合がいいかを説明した。
今回は大人がよく言う「自分で解決しろ」や「傷つけ合って成長していくものだ」というのがいかに意味がないかを述べる。

いじめという時点で話し合いの余地などない。話し合えればそれは「ケンカ」であり対等な関係だ。イジメになった瞬間から力関係は一方的なのだ。倫理や道徳で人がイジメをやめるのは実は小学校低学年までだ。
イジメられる側の意見をきく加害者がいるはずがない。それがわからない大人は「子供時代を平和に過ごせた運のいい人」「自覚のないイジメ加害者」「子供時代を美化して忘れている」「自分が苦労した(している)のでお前も我慢しろと強要している」のどれかである。

子供の社会の純粋な残酷さを思い出そう

まず「子供時代を平和に過ごせた運のいい人」「自覚のないイジメ加害者」「子供時代を美化して忘れている」のパターンの方は考えて欲しい。
あなたの職場や取引先や交友関係にイジメやパワハラはないだろうか?そのイジメを自力で解決できる被害者はいると思うか?耐え忍ぶか辞めるかしか選択肢はないんじゃないか?耐えるために更に弱い立場のものに当たる人はいないか?鬱病などで折れてしまう人はいないか?
これにない、自力で解決できるはずという社会人がいたら好きなことができているアーティストや大学教授、慈善事業家、あるいはサイコパスだ。最近だと新卒からグーグルに入社できた人なのかもしれない。
子供の世界は今あなたがいる世界をより原始的暴力的にした世界なのを思い出したほうがいい。

確かに失敗から学ぶが、罰を受け続ける必要があるのか?

大人が子供にそういう理由の多くは「自分が苦労しているのでお前も我慢しろ」という強要だ。不条理に慣れておけといいたいのだろう。
確かに人間関係を学ぶ事は大切だ。何が人の嫉妬を買うのか、どんな態度がいじめられるのかなど学んで生かしたほうが生きやすくなる。人は失敗からより多く学ぶ。
だが、失敗した罰や勉強代としてボロボロになるまでサンドバッグになる必要はない。ダメージを最小限にして「次に活かそう」という学びだけもってそのコミュニティに関わること自体を終わりにした方がよっぽど健全である。つまり解決するまで不登校になるか転校するかが一番健全に育つ近道なのだ。

勘違いはもうやめにしよう

我慢し続けているのは「しょうがないから」だと勘違いしている大人が多い。それはいじめられている子供に対する態度だけでなく、常にイライラして当たる相手を探している不寛容社会を形成している理由でもある。
家族のために我慢してるんだとか言われると、まるで生まれてきた事を責められているかのようではないか。子供のせいにしないでほしい。あなたが我慢しているのはあなたが選択を積み重ねた結果だ。失敗をしたとき、学習してダメージをなるべく負わずに次に活かそうとするのではなく、罰として歯を食いしばって耐え忍ぶことこそが美徳なのだと勘違いさせられた結果なのだ。それが他人にとってばかり都合がいいというのに気付かずに。
勘違いはあなたの代で断ち切ってあげたほうがいい。次に活かしてこその学習である。