イジメとイジリの境界線
お互いを尊重しあえるのが当然の基本
イジメかイジリかの境界線は、相手をいじり返せるかどうかではないか?
できなければ対等な関係ではない。いじめ、または隷属という。
悪意を悪意と感じていないのが問題
いじめやパワハラなど悲惨な事件が起きたとき「ふざけていただけ」「テレビでやったことを真似た」「悪意は無かった」という言葉が飛び出すのはお互いの認識のズレがとてもあると言うことだ。
そんなとき、イジメられていた側といじっていたと認識している側は対等な関係なのだろうか?イジメられている側がちょっといじっている側を茶化したり小馬鹿にしたことを言ってもお互いに笑える関係であれはそれは仲間だ。だが、イジメられている側のちょっとした言うことに腹を立てたり恐喝するような真似をしているようならそれは隷属である。
不快なグループから離れて身を守る
たちの悪いことにいじっていると認識している側は全く悪気がない。それが当たり前の人間関係なのである。そこに当人や周りが修正を求めたとしても絶対に聞かない。反省するには成長しすぎているし、なにより悪意がないから。
嫌だとおもったら身を守る方法は一つしかない。離れることだ。それか必死にたえながらいじっていると勘違いし続けている人間の自尊心のために我慢してあげるかのどちらかである。