外国人の子供に対するいじめが意味しているもの
分かりやすいスケープゴート

日本に住む外国人の子供が学校で苛烈ないじめにあっているという記事が出始めた。私としてはやはりあったか、やっと記事になったかという感想だった。日本人と顔立ちや目や常識が違うハーフの子や外国から呼び寄せられた子供が日本の学校でいじめられるというケースは容易に想像がつくだろう。実はそういう外国人の子供が集中的にいじめられることでスケープゴートになっているのではないかという例をいくつか見ていたからだ。
外国人の子供が増えた経緯とは
外国人の子供が公立の学校に通う例は最近とても増えている。日本に来る労働者の全員が家族帯同がない技能実習生や特定技能2号での入国ではない。ハイクラスな技術をもつ外国人は多国籍企業の転勤で家族帯同で日本にやってくる。日本人と結婚して移住される夫婦もいる。また、フィリピンパブの従業員など技能実習生の制度ができる以前の不法入国の人が日本人の伴侶を持ち滞在が許可される例は数多くある。それを使った不法すれすれの永住権獲得や、それで子供を呼び寄せるということも昔は横行していた。
変化は下流から
ちょっと柄のわるい地域というものがある。そういう地域の学校はいじめも横行していると想像することだろう。だが「ああ、この子はこれまでの経験からいじめのターゲットになるかもな」という子が実際はいじめ被害を免れているケースが増えてきているのだ。そのかわりに同じ地域のコミュニティで、ハーフや外国人の子供がイジメのターゲットになって学校にいけなくなったという話しを聞くようになったのだ。そういう地域は弱肉強食の世界で、そのいじめの内容の酷さを考えると可哀相でしょうがない。
これは後に日本人の身にふりかかる
人間は他人種に対して残酷になりやすい動物だということは歴史が証明している。人種差別は程度の低い人間がするものだというのは大人のマナーである(最近各国で崩れてきているが)。子供は大人よりも本能に忠実で原始的だ。
私が懸念するひとつは、そのような差別を行う子供が成長したとき日本がどういう社会になってしまうかだ。ていのいいスケープゴートをいじめてきてネオナチのような思考と化した若者と暮らせるかという話しである。
そしてもうひとつは、日本人で外国にでなければいけなくなったときに自分達の子供がどうなるかだ。少子高齢化で日本でモノが売れないから海外転勤もおおくなってきた。AIの発達や日本の景気が悪くなったときに、日本人も出稼ぎのような形を取らざるを得なくなる可能性もある。
このケースは決して他人事ではないのだ。
子供と私がハリーポッターを観れない件について
トラウマで有名作品が見れなくなる

私の子供はハリーポッターシリーズを見ることができない。立ち寄ったカフェで画面に途中から流れていて、夢中になって見てた。魔女の宅急便などが好きなのでこれも好きなんだなと思い買い与えた。これが大失敗だった。
冒頭の家族による陰湿なイジメのシーンで泣きながら消してくれとギブアップしたのである。開始5分でゴミ箱行き。本当に大失敗だったし、イジメのような事を受けると普通の作品すら楽しむ機会を失われてしまうという現実に腹が立って仕方がない。カフェで流れていたシーンが楽しげなものだったからよかったものの、もし最初から始まっていたら店を出ることになっていたかも知れない。
実は私もこのシリーズがトラウマを呼び起こすため断念した過去がある。だが、初期の頃はハリーが直後に魔法学校に入学して救われたり、意地悪家族が魔法でヒドイ目にあうので問題がなかった。だが後半になると学校内で起こる事件も陰惨になり、冒頭のお決まりの意地悪家族のシーンも「魔法を人間界では使ってはならない」という縛りによって(製作側の力に対する責任などの表現なのだろうが)救いがないまま終わるようになる。この時点で断念せざるを得なかった。自分が最初は大丈夫だった思い出から与えてみたのだが、うちの子には本当に悪いことをした。
なぜこんな思いまで被害者が負わないといけないのか?
同じようにいじめなどの表現で断念した作品には「3月のライオン」がある。有名どころで街で流れていたり公開時には大々的なプロモーションがかけられる。なぜいじめ被害者は作品を楽しむ機会すら奪われるのか?バワハラ、DV、性的被害なども同じだろうか、ちょっと謝罪させることができても、結局加害者に比べて被害者の失うものは大きい。こんな小さな娯楽でさえもである。うちの家族はもうUSJに行って楽しむこともできないのだろうか?
NGT暴行問題の結末と日本社会の変化
多数派、敗れる

NGT48メンバーの山口真帆さんの暴行被害に関する被害者と運営とのすれ違いについて、被害者である山口真帆さんの脱 退という形で一応の決着に至った。
この件でアイドルグループ全体のイメージ低下とスポンサー離れという所までいったのは、これまでにはあまり見られない 例なのではないだろうか?
本件は利害関係者である「運営・メンバー・(山口真帆さん以外の)ファン」 VS 「当人のファン」という形ではなかっ たのが大きい。グループのファンの間でも疑問があったのは勿論、かなり被害者に対して世間が同情的であり、それが利害 関係者内だけの多数派による利益優先を許さなかったという点が非常に評価されるところだと感じている。
日本の問題に酷似していた
このブログでなんども書いている通り、日本の社会は「倫理や正義」よりも基本的に利害関係者の間だけの多数派がど れだけ被害を蒙らないかという「多数派の利益」が問題解決の論点になってしまっている。
芸能界は勿論、いじめの問題が解決されないのは「学校教師関係者+複数の加害者+普通の生徒」VS「被害者」という形だ から解決の糸口が全く見えない。会社のパワハラも、部活のパワハラも、子育てのしにくさや不寛容社会といわれる公共の 場の息苦しさも全く同じ構造である。
正しいことが正しいとされる社会を願って
この一連の事件の結末は日本的な「長いものに巻かれろ」社会に大きな風穴を開けたように感じられる。それだけ世間 が長いものに巻かれるのに嫌気がさしているということだろう。巻かれても結局助けてくれずに損する社会、格差社会がそ のように日本の価値観を変えていっている。
もちろん脱退した山口さんは事務所を変えることになりそうだという話だが、事務所と対立することによって干されてしま った芸能界の先人達のような例にならないことを願っているしそうあるべきである。
子供がいじめをしていると言われた親は自分の人生を見直したほうがいい
イジメ加害者の親はモンペだらけ

「あなたの子供がクラスメイトをいじめているんですが」と言われてごめんなさいと言う親はそういないだろう。そのような謙虚な親の家庭からいじめっ子はなかなか出ない。実際イジメ加害者の親に問題がある場合が多い。
家庭内で気付かない虐待
「うちの子はしつけがしっかりしている」という人はそのしつけが正しいか考えたほうがいい。泣いているところを叱られた子供は、他の子が泣いていると怒鳴ったり殴りかかるという。自分がされていることをよその子供にするのだ。
子供にバカといっている家庭の子は他人にバカという。しつけと称して殴られている子は他の人を殴るのに躊躇がなくなる。片親がもう片方を下に見てDVをしている親を見れば人を差別する人間になる。
あるいは、イジメをメディアのせいにして真似をしているだけだという親がいるが、やっていいこと悪い事は小さいうちに身について判断できる。小学校高学年や中高でもそのように言い訳する親はろくなものではなく、まさに親も子も「人(メディア)のせいにする」ことが身についてしまっているのだ。
そんな親には言っても無駄だが願いをこめて書く
子供にイジメ加害者の容疑がかかったら、一度自分の人生を見直したほうが方がいい。家族の問題が映す鏡のように子供が問題行動を起こした可能性が高いからだ。ぜひ謙虚になって親子で家族のあり方を修正してほしい。
なかなかそうは行かずに、学校側も複数の加害者モンペを相手にするより被害者家族の問題にすり替える方が楽なのでそのような酷い事例ばかりである。
子供らしく育てる=放置ではない
放置され暴君になる子供達

間違って育てられた子供がおおく目につく。人の子に対していきなりバーカと言ってくる。おもちゃを奪い取る。砂を投げつけるなど。近くに親がいるが注意しない。我関せずな表情である。子供らしく育てるということを、子供をしからず放置することだと勘違いした親達。
そしてそんな暴君と化した子供のターゲットになるのは本当に親に可愛がられている子供である。
劣等感が暴力に走らせる
保育園幼稚園児の歳の子供でも既にこのような風景を見る。そして我が子が被害にあって注意すると、子供のやることだからという返事が返ってきて悪びれもしない。
こういう構われず、ただ親がいっしょにいるだけで話しかけてもらえない子供は、自分と違う育てられ方をした子供に羨ましさや劣等感を抱く。それを端的に暴力的に表現するのだ。
大人子供が暴君を育てる
この問題児は、一見貧困層に多そうだが実は社会的階層にあまり関係がない。
子供の相手をするというのは実はかなり根気がいる作業だ。精神レベルが違いすぎて相手をし続けるのもしつけをするのもかなりしんどい。数時間数日相手をすれば、これまで苦痛に感じていた大人同士の関係がこんなに楽だったとはと思うことだろう。共働きだろうと主婦だろうと富裕層だろうとシングルだろうと関係がない。子供の成長を思って子供に接する事ができる「親の資格を持った親」か、自分を徹底的に優先し顧みない「大人子供か」の違いで分かれている。
そして「大人子供」から育てられた問題児が成長して学校でいじめなどに走る。だが加害者の親が底辺の大人子供なので話は通じない。または社会的地位はあるのでPTA役員などで学校側が庇ってしまい増長するという悪循環が繰り返されるのだ。
赦す事は強要されることではないはずなのに
被害者はこちらなのに…

いじめられた。酷いパワハラを受けた。陰口を叩かれた。
腹を立ててるのはこっちなのに、許さないと加害者が逆ギレしたり、なぜか許してやりなよと横槍を入れてくる人間がいる。
そういう場合、自分が悪いのではないかと勘違いしてしまいそうになるが、そんな必要はない。
質の悪い人たち
人は他人をコントロールしようとする。
誤ったのになぜ許さないんだと逆ギレするのはある意味分かりやすい。仲裁しようとする人間や、気にしないでポジティブに行こうと言ってくる人間はとてもめんどくさい。自分の価値観と生き方こそ正しく平穏に生きる道だと思っている。そしてそれは嫌だと言うとなぜ自分の意見を聞き入れないんだと腹を立てたり、心が狭いやつだとなじったりするから本当に質が悪い。
自分の心が一番大事
自分の傷ついたという心を癒やすのが第一だ。
加害者の心を軽くしてやる必要もない。
まして、まったく関係のない第三者の自尊心を満足させてやる義理はない。
赦しは自分が望むときに自分のために行うものだ。他人の都合を優先して行うものではない。
勘違いした裁定者に騙されてはいけない
被害者が悪者にされるのは何故?

いじめの被害者になったときの教師、パワハラや社内で不当な扱いを受けたときの上司。某グループ運営。そういう人たちは自分がジャッジする権限をすべてもったと勘違いしがちです。結果として相談 した被害者がなぜか貶められることがよくあります。
おかしな裁定者が被害を拡大させる
ジャッジをする立場だと勘違いした人は公平性を保とうとします。公平性は必要なことなのですが問題はその公平性が裁定者の主観によるものであることが多いです。またコミュニティの利益を最大限に 保つためのものであることがよくあります。そして自分がジャッジしたのだからこの件は終わりと被害者を無視しでクローズさせてしまうのです。
最大の問題は、被害者がそれでは納得できないといったときに被害者に牙を剥くということです。
「これだけ身を粉にして裁定してやったのに俺に文句があるのか?」
と。
そうなると被害者はコミュニティから出ていくしかなくなります。
自分第一で対処法を探そう
冷静さと公正さをたもちながら、所属してるコミュニティ自身を批判しつつ、神のような裁定できる人間などそうそういません。そういう性質は組織で上に昇るためにはむしろ障害になるので更に確率は 下がります。そういう人でできる人はNPOを作ったり独立したりするでしょう。
組織内の裁定はあてにはなりません。なかなか難しいですが自力でなんとかする。味方してくれる組織を連れてくる(ユニオンなど)。別の次元にもっていく(警察への被害届、労使裁判、twitter反論は凄 い手でしたね)さっさと見切りをつけるなどの自分第一の対策を考えましょう。