イカリブログ

碇太助が日々思う事や気付いたことを記事にするブログです。社会問題・衣食住・子育て・人間関係・いじめ等を取り扱います

碇太助の日々思うがままブログ

イジメとイジリの境界線

お互いを尊重しあえるのが当然の基本

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イジメかイジリかの境界線は、相手をいじり返せるかどうかではないか?
できなければ対等な関係ではない。いじめ、または隷属という。

悪意を悪意と感じていないのが問題

いじめやパワハラなど悲惨な事件が起きたとき「ふざけていただけ」「テレビでやったことを真似た」「悪意は無かった」という言葉が飛び出すのはお互いの認識のズレがとてもあると言うことだ。
そんなとき、イジメられていた側といじっていたと認識している側は対等な関係なのだろうか?イジメられている側がちょっといじっている側を茶化したり小馬鹿にしたことを言ってもお互いに笑える関係であれはそれは仲間だ。だが、イジメられている側のちょっとした言うことに腹を立てたり恐喝するような真似をしているようならそれは隷属である。

不快なグループから離れて身を守る

たちの悪いことにいじっていると認識している側は全く悪気がない。それが当たり前の人間関係なのである。そこに当人や周りが修正を求めたとしても絶対に聞かない。反省するには成長しすぎているし、なにより悪意がないから。
嫌だとおもったら身を守る方法は一つしかない。離れることだ。それか必死にたえながらいじっていると勘違いし続けている人間の自尊心のために我慢してあげるかのどちらかである。

イジメを「子供同士で解決しろ」と言うのはナンセンス

「傷つけ合って成長する」の嘘

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前回記事で、現状がいかにイジメ加害者に都合がいいかを説明した。
今回は大人がよく言う「自分で解決しろ」や「傷つけ合って成長していくものだ」というのがいかに意味がないかを述べる。

いじめという時点で話し合いの余地などない。話し合えればそれは「ケンカ」であり対等な関係だ。イジメになった瞬間から力関係は一方的なのだ。倫理や道徳で人がイジメをやめるのは実は小学校低学年までだ。
イジメられる側の意見をきく加害者がいるはずがない。それがわからない大人は「子供時代を平和に過ごせた運のいい人」「自覚のないイジメ加害者」「子供時代を美化して忘れている」「自分が苦労した(している)のでお前も我慢しろと強要している」のどれかである。

子供の社会の純粋な残酷さを思い出そう

まず「子供時代を平和に過ごせた運のいい人」「自覚のないイジメ加害者」「子供時代を美化して忘れている」のパターンの方は考えて欲しい。
あなたの職場や取引先や交友関係にイジメやパワハラはないだろうか?そのイジメを自力で解決できる被害者はいると思うか?耐え忍ぶか辞めるかしか選択肢はないんじゃないか?耐えるために更に弱い立場のものに当たる人はいないか?鬱病などで折れてしまう人はいないか?
これにない、自力で解決できるはずという社会人がいたら好きなことができているアーティストや大学教授、慈善事業家、あるいはサイコパスだ。最近だと新卒からグーグルに入社できた人なのかもしれない。
子供の世界は今あなたがいる世界をより原始的暴力的にした世界なのを思い出したほうがいい。

確かに失敗から学ぶが、罰を受け続ける必要があるのか?

大人が子供にそういう理由の多くは「自分が苦労しているのでお前も我慢しろ」という強要だ。不条理に慣れておけといいたいのだろう。
確かに人間関係を学ぶ事は大切だ。何が人の嫉妬を買うのか、どんな態度がいじめられるのかなど学んで生かしたほうが生きやすくなる。人は失敗からより多く学ぶ。
だが、失敗した罰や勉強代としてボロボロになるまでサンドバッグになる必要はない。ダメージを最小限にして「次に活かそう」という学びだけもってそのコミュニティに関わること自体を終わりにした方がよっぽど健全である。つまり解決するまで不登校になるか転校するかが一番健全に育つ近道なのだ。

勘違いはもうやめにしよう

我慢し続けているのは「しょうがないから」だと勘違いしている大人が多い。それはいじめられている子供に対する態度だけでなく、常にイライラして当たる相手を探している不寛容社会を形成している理由でもある。
家族のために我慢してるんだとか言われると、まるで生まれてきた事を責められているかのようではないか。子供のせいにしないでほしい。あなたが我慢しているのはあなたが選択を積み重ねた結果だ。失敗をしたとき、学習してダメージをなるべく負わずに次に活かそうとするのではなく、罰として歯を食いしばって耐え忍ぶことこそが美徳なのだと勘違いさせられた結果なのだ。それが他人にとってばかり都合がいいというのに気付かずに。
勘違いはあなたの代で断ち切ってあげたほうがいい。次に活かしてこその学習である。

いじめ加害者を庇っているのは本当は誰か?

貧困家庭だけではないいじめ加害者家族

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いじめ加害者は貧困家庭からだけ生まれるのではない。その例は嘆かわしいほど多いが全く逆の立場の子供も加害者になる。それは準富裕層と呼ばれる士業の家庭や中小企業オーナー以上の家庭だ。
裕福な家庭環境に対して親は多忙。放置されながら過保護に育てられ、自分は特別で他人を軽く扱っても良いという考えを持ってしまった問題のあるご子息は一定数いる。また受験などのプレッシャーを大 きくかけられるのもこの家庭の特徴の一つだ。多忙なのにお金だけはあるため不倫などで希薄な夫婦仲が更に悪くなるというケースもある。夫婦仲が悪い家庭の子供が精神的に不安定に育ちかねないという のは知られた話だ。

裕福な家庭から生まれるモンスター達

記憶に残る最悪の事件は「佐世保女子高生殺害事件」だろう。
加害者の女子高生の家庭は佐世保では有名な弁護士で、女子高生も将来は弁護士になりたいという真面目な生徒だったという。ガンで実母が亡くなり不登校に。一年経たずに父親は再婚。継母と一緒に暮ら すのを拒否し…幼馴染の少女を手にかける犯行に至る。その後、父親の自殺が大きく報道された。
この事件は子育てを放任していたり家庭内不和の種があることを自覚していた一部の「ルール策定層」にはかなりの衝撃だったことだろう。読者の多くもそのような小金持ち以上の家庭のクラスメイトや知 り合いを知っているのではないだろうか?富裕層家庭の異常な生育の例だと「ミスターkoの事件」「スーフリ事件」もあるが詳細は省く。

立場のある人間は身内から犯罪者が出るのを恐れる

ルールを策定する層が子供の安全を願い自分の子供は問題ないと考えるならば、ルールは子供を守るため厳しく早急に動けて根本原因を突き止める仕組みになるはずだ。だが現状のガイドラインはあやふ やな上に、日弁連は更に要望書を出している。要約すると
「被害者保護者がガイドラインに沿って被害を訴えても、子供同士の生育の過程として見守るべきケースは多い。傷つき傷つけ合うのが成長だ」
という内容の箇所があるのだ。
被害者家族からみれば怒りが込み上げる意見書だ。なんのためのガイドライン制定なのか?

あなたの子供は生贄ではない

加害者は厳しい貧困層と問題を抱えた裕福な家庭に多く、善良で優しく育った一般市民の子供が犠牲になる。「傷つけ合う心の生育」などというたわごとで放置されてサンドバッグになっていい人間などいない。
富裕層から見れば、自分の子供がいじめ被害者、加害者のどちらであっても転校させたり海外に出せば良い。加害者になった際に逃がせなかったり自分や商売に非難が及ぶのは避けたいという考えなのかと 邪推してしまう。支配者層からすればルールはあやふやなな方がいい。自由のきかない庶民からしてみれば納得がいかない。
権威を傘にきた「自分の子供の生育に自信のない」一部の人間の言い分に納得し、大切な子供の命や心を生贄に差し出す必要など絶対にないのだ。

いじめ問題で学校の対応が遅い原因を解決するたった一つの方法

いじめの原因はどこに?

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学校側がいじめられている生徒からいじめを訴えられたときの対応が適当なため悲惨な結果となり、学校が謝罪をする痛ましいニュースを非常によくみる。
常々疑問なのは学校は謝罪するのにいじめを行った生徒及びその親が謝罪をしないという事だ。生徒が未成年だからとか、証拠がとかという話なのだろうが、いじめの原因と責任はいじめた生徒とそれを生 育した家庭にあることが多い。

被害者よりも加害者の生育環境に問題が

イジメられているという相談を受けたときの担任の気持ちはどうだろう?正直な話、面倒なことがクラスで起こってしまったではないだろうか?教師は各生徒と家庭に対して平等でなければいけないので 、あなたのお子さんがイジメていますよ決めつけて注意する事はできない。そしてイジメがあ発覚したら評価が下がるので学校は必死になにもないようにしようと動く。訴えている側、つまりイジメられて いる生徒とその家族を抑えるのが一番簡単だ。
原因はイジメている生徒とその親にあるはずなのに、学校は責任を追求される。そしてそれをさけようと、一番弱い被害者家族をないがしろにする。

ではどうすればそれを避けられるかというと社会全体が批判の矛先を学校から、加害者生徒とその家庭環境、ひいては社会問題という根本原因に向けるのが一番だと提言する。
人はやられた事を他人にするのだ。親に殴られたり罵倒されれば他人にそうするようになる。そういう家庭でのDVや貧困に焦点が当たれば虐待家庭から子供を守れとか学校よりも社会保障をどうにかしろと いう方向に向かうだろう。
原因は貧困や暴力ばかりではない。一見裕福な家庭でも全く子供に構わず性格を歪ませていた事が分かれば、金こそ命で子供の情操教育は二の次という一部富裕層家庭も変わり社会がよくなるかもしれない 。
よく被害者を黙らせようと発せられる、ご家庭に問題があるのではないですか?というセリフは加害者の家庭にこそ投げかけるべきだ。

後手後手のガイドライン

いじめの問題で学校があまりに責められるので文科省ガイドラインを作成した。だが、まず重大事態として著しい生命の危険や自殺した場合を想定されていてナンセンスだ。手遅れの状態で原因を突き止められてもどうしろというのか。
そして「学校側の対応に問題があったとしても再発防止のために調査しろ」という内容で、結局学校が悪い事が前提であり進んで対応などできないだろう。調査の方法もアンケートなどであり加害者がそこに至った背景には踏み込まない。そして極めつけが民事刑事の責任を追求するものではないということだ。 いじめ被害者とその家族はそんな調査が仮に行われたとして納得がいくのだろうか?
加害者とその生育環境に原因や責任を求めずに教育現場に責任を押し付けて表面上の対応を続けている。

学校が保身しなくてはいけないのが問題

学校がイジメを隠さなければいけない社会ではなく、生徒を助けた事を世間に公表し喝采される社会であるべきなのだ。教師になろうという人は上から下まで、正義をなしたいという人間が多いはずだ。 自分に火の粉がかからなければ。現状は残念ながら保身に走る他ない状況に追い込まれている。
加害者の実名報道ができずとも、学校が加害者の家庭に疑問をもち児童相談所などと連携して対処し、イジメに潜む問題を会見で明らかにできればいいのにと思ってならない。

【世論は変わった】ディズニーパワハラ問題・NGT暴行問題とバイトテロへの毅然とした対応に見る世論の変化

かつて楽しい、便利は正義だった

ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドのほとんどがアルバイトだと知っていても指摘することは悪いことにであり、むしろ夢の国で働けることは素晴らしいことだという本で溢れていた。
AKB商法の問題点や枕営業やタレントの扱いの酷さが語られていても、夢中になっているファンは耳を塞ぎ金を注ぎ続けた。
事務所を辞めた芸能人が干される。やすい賃金で作られる商品やサービスが提供される。それらは便利さと楽しさに埋もれ興味を持たれない存在で、一部の意識の高い人道家にだけ響く報道だった。

それがおおっぴらに語られ注目されるようになったのはなぜだろう?それは日本の社会が長引く不安の中にあり、多くの人間が安定を保証されない当事者になったからだ。多くの人が楽しさや便利さを与える企業の古い正義より、無視されてきた被害者に自分をかぶらせて感情移入して騒ぐようになっている。

 

外野も当事者も納得できない事に物申すように

問題が大きな反響を得るようになった原因の一つは非ユーザー、外野が反応する割合が多くなったことが大きいだろう。ディズニーリゾートもアイドルグループも興味のない人間にはまったく関わり合いのないことだった。だが、自分が似たような環境にあり同じように不条理に虐げられていると感じる人間が多くなり、興味がなくてもそういうニュースに反応するようになった。

もう一つは当事者、ファンの中でもそのような不条理に反応し声を上げて批判する人間が多くなったのは大きい。一昔前のがっつり掴まっている信者の対応は「外野が無粋なことをいうな。楽しんでいるのに水を差すな」の一辺倒で、運営側はこれをいい事にやりたい放題だった。
そういう運営側の古い体質や意識が変わっていないことは、例えばディズニーリゾートを訴えたキャストが「どの顔をして戻ってきたんだ」と言われたり、NGTのメンバーが問題が長引くのを迷惑そうに発言したりしていたことから伺える。それに対して熱狂的なユーザーから非難が上がりSNSなどで激しく攻撃されていることは誤算だろう。
そういう「狂信者」と「一般信者」を履き違えたズレが大々的に報道され、外野からさらに非難を浴びる格好の素材になっている。

 

ニュースは大衆の味方

ニュースは大衆が味方するほうの味方である
コンビニの24時間営業がオーナーを苦しめる問題も、これまで便利さから見向きもされなかったのが「自分も企業から買い叩かれている」と感じる大衆が増えて注目されることになった。ゴーン事件もリストラや低賃金の不満が大衆にあるので、いくら国際的に見て勾留が非人道的だと世論を味方につけようとしても、会社を私物化したという報道にうもれていった。

そんな時流を味方につけたのはバイトテロへの毅然とした対応である。不正や悪い行いに厳しく対処するという内容は大衆の支持を得ることに成功した。バイトテロにも非正規雇用化という問題が内包されていたかもしれないが、悪ふざけをするのは浮かれた少数派で、道で電車の中で職場で、そういうタイプに迷惑していると感じる人間が多かったということだ。悪いことは悪いと断罪する姿勢が現在は評価されるのだ。

旧来の価値観が大衆に支持され続けていると勘違いした安定組の組織トップ層と、常に不安定な立場に置かれ不安を感じながら生活するようになった大衆の正義のズレは未だに大きい。今後、それを感じ取れずに対応を誤る組織の未来は明るくはないだろう。