イカリブログ

碇太助が日々思う事や気付いたことを記事にするブログです。社会問題・衣食住・子育て・人間関係・いじめ等を取り扱います

碇太助の日々思うがままブログ

子供らしく育てる=放置ではない


放置され暴君になる子供達

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間違って育てられた子供がおおく目につく。人の子に対していきなりバーカと言ってくる。おもちゃを奪い取る。砂を投げつけるなど。近くに親がいるが注意しない。我関せずな表情である。子供らしく育てるということを、子供をしからず放置することだと勘違いした親達。
そしてそんな暴君と化した子供のターゲットになるのは本当に親に可愛がられている子供である。

劣等感が暴力に走らせる

保育園幼稚園児の歳の子供でも既にこのような風景を見る。そして我が子が被害にあって注意すると、子供のやることだからという返事が返ってきて悪びれもしない。
こういう構われず、ただ親がいっしょにいるだけで話しかけてもらえない子供は、自分と違う育てられ方をした子供に羨ましさや劣等感を抱く。それを端的に暴力的に表現するのだ。

大人子供が暴君を育てる

この問題児は、一見貧困層に多そうだが実は社会的階層にあまり関係がない。
子供の相手をするというのは実はかなり根気がいる作業だ。精神レベルが違いすぎて相手をし続けるのもしつけをするのもかなりしんどい。数時間数日相手をすれば、これまで苦痛に感じていた大人同士の関係がこんなに楽だったとはと思うことだろう。共働きだろうと主婦だろうと富裕層だろうとシングルだろうと関係がない。子供の成長を思って子供に接する事ができる「親の資格を持った親」か、自分を徹底的に優先し顧みない「大人子供か」の違いで分かれている。
そして「大人子供」から育てられた問題児が成長して学校でいじめなどに走る。だが加害者の親が底辺の大人子供なので話は通じない。または社会的地位はあるのでPTA役員などで学校側が庇ってしまい増長するという悪循環が繰り返されるのだ。

子育てしにくい不寛容社会の原因は何か?

偏屈な独居老人の絡みはめんどくさい

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子供連れはバスや電車など公共交通機関にも乗せにくい世の中である。
孤独そうな老人が親子連れに文句をいいたげに絡むのをよく見る。
「今の人たちはこうだから」「私たちの頃の子育ては大変だったのに」
という台詞とともに、移動できない迷惑そうな親子連れに永遠と文句を言い続けるのだ。

日本人は不寛容DNA

日本の不寛容社会は今にはじまったことではない。というより日本の歴史上不寛容でなかった時代などない。
日本は欧米と違い民衆主体の政変が「一度も」ない。文句をいえば斬られ、一揆を起こせば根絶やしにされ、従順な臣民のDNAしか残されなかった。明治維新も士族主体の革命である。富国強兵をうたって戦争をした時代はいわずもがな、戦後もGHQによる制度変更である。

日本は変わらない。でも自分は変われる

町をあるけば老人ばかりの高齢化社会と、周りを意識し勝手に統率しあう日本の不寛容DNAが昨今の子育てがしにくいという声の原因だ。
人はとかく自分の時代が一番大変だったといい、下の世代にそれを押し付ける。学校の部活の先輩後輩と変わらない。自分が望んだ人生を送っていればそうはならないはずなのに、自分でよりよい未来を選択することを拒否してひたすら耐えて、それを子や孫の世代に強要している。
そして今後もこの流れは変わらないか、より酷くなっていくだろう。人口もそうだし、老人は大切な票田なので政治もそちらに向く。
幸いにも昔に比べて選択の自由があることは確かだ。若いほどよりよい未来を選択する猶予があるのでぜひ考えてほしい。

拝金主義世代とは付き合いにくい

お金を拝む世代

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今社会のトップに立っている世代は極端な拝金主義で育った方か多い。お金を稼ぐことが素晴らしいと信じ、お客様は神様だと信じている。そして、お金さえ持っていれば、「自分の家族や会社や商売に関係のない金持ち」でも賞賛するという全く理解できない言動をよく見る。

どんどん乖離していく世代間

失われた世代以降にそのような価値観はあまりない。自分に恩恵を与えられなければその人がいくら持っていようと意味はない。かつて小金を持っている風な格好で歩いているだけで尊敬され街を我が物顔で歩いていた老人が、特別扱いしてもらえにくくなってきた街を苦虫を噛み殺したような表情で歩いているのを見る。
そのような人間は大抵人目をはばからずに道行く人に文句をいう。道端のすれ違う人やカフェの隣の人にいちゃもんをつける「ちょっとおかしい人」は、たいてい小金を持ってそうで、かつ趣味の悪い格好をしている。

そういう人間を増長させてきたのは、金持ちをむやみに持ち上げできた時代だ。
お金は物と交換する道具でしかない。物欲の薄い世代や虐げられた世代には、もう尊敬を集めたり人を従わせるための道具にならなくなってきている。それを勘違いし続けて、それを強要しようとする世代とはやはり付き合いにくい。

赦す事は強要されることではないはずなのに

被害者はこちらなのに…

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いじめられた。酷いパワハラを受けた。陰口を叩かれた。
腹を立ててるのはこっちなのに、許さないと加害者が逆ギレしたり、なぜか許してやりなよと横槍を入れてくる人間がいる。
そういう場合、自分が悪いのではないかと勘違いしてしまいそうになるが、そんな必要はない。

質の悪い人たち

人は他人をコントロールしようとする。
誤ったのになぜ許さないんだと逆ギレするのはある意味分かりやすい。仲裁しようとする人間や、気にしないでポジティブに行こうと言ってくる人間はとてもめんどくさい。自分の価値観と生き方こそ正しく平穏に生きる道だと思っている。そしてそれは嫌だと言うとなぜ自分の意見を聞き入れないんだと腹を立てたり、心が狭いやつだとなじったりするから本当に質が悪い。

自分の心が一番大事

自分の傷ついたという心を癒やすのが第一だ。
加害者の心を軽くしてやる必要もない。
まして、まったく関係のない第三者の自尊心を満足させてやる義理はない。
赦しは自分が望むときに自分のために行うものだ。他人の都合を優先して行うものではない。

スマホに子守をさせる、いいこと悪いこと

現代でスマホを使うのはしょうがない

世の中いよいよ子育てがしにくくなってきていると感じる。子連れ出勤がどうのというが大人でもキツイ満員電車に幼児を乗せて静かにさせることなど不可能だ。休日の電車内バスでさえ親御さんは周囲に気を使いながら乗らなきゃいけないのに。
そのような社会でスマホを見せることは一つの解決策になっている一方、スマホに子守をさせるなんてという声が聞こえる。泣けばうるさいという。見せたら非難される。どうしろというのか??

利点と欠点を把握する

スマホを与えて起こる良いことは、いくら非難する人がいようと移動のストレスが減ることだ。家事をする時間も作れる。時代によって子育ての形はかわっていくのはしょうがないことで、私達の世代はと言っている層も紙オムツやミルクなどを責められた時代があったのではないだろか?
一方、あたえることの危険性は良く知る必要がある。
動画サイトの動画は素人が作ったものな上に「アクセスを稼げればなんでもOK」というモラルがない状況だということを知っておいた方がいい。
ペアレンタルコントロールをかけていても、選別はAIだのみなので危険は避けられない。

動画サイトはなんでもあり

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大の大人が人に迷惑をかけ悪ふざけをする動画もある。著作権のモラルが失われた動画も沢山ある。
某サイトで子供用に制限をかけた状態で、某ネズミの公式動画をまず表示させた。そこから候補を選ぶ際「日本語」と書かれた動画に飛んだが、台詞はスペイン語の動画だった。その動画の候補からは、ネズミとゲームセンターでよく見る青いハリネズミが共演する奇妙な動画に飛んだ。これはまだソフトな例で、ハンバーガーの有名キャラは悪ふざけの対象となっているし、AIにアダルト判定されないように「肌色」の露出を抑えたいかがわしい動画もある。
またアメリカでは「チョコエッグ動画」が問題となっている。ひたすらチョコエッグを空ける動画を子どもたちが中毒のようにボーっと見つづける。中毒になる原理はパチンコと一緒だ。

使うには工夫が必要

泣いて困られるくらいの小さい子供なのだから、与える親の判断力が問われる。一緒に見て判断したり、あらかじめ選定しておいたりするとよいだろう。投稿配信サイト以外では作品として作られたものが配信される有料配信サイトを選んだり、一緒に行ったテーマパークのパレードなどの動画を撮っておいてみせたりというのもある。
一味工夫してスマホに見てもらおう。

勘違いした裁定者に騙されてはいけない

被害者が悪者にされるのは何故?

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いじめの被害者になったときの教師、パワハラや社内で不当な扱いを受けたときの上司。某グループ運営。そういう人たちは自分がジャッジする権限をすべてもったと勘違いしがちです。結果として相談 した被害者がなぜか貶められることがよくあります。

おかしな裁定者が被害を拡大させる

ジャッジをする立場だと勘違いした人は公平性を保とうとします。公平性は必要なことなのですが問題はその公平性が裁定者の主観によるものであることが多いです。またコミュニティの利益を最大限に 保つためのものであることがよくあります。そして自分がジャッジしたのだからこの件は終わりと被害者を無視しでクローズさせてしまうのです。

最大の問題は、被害者がそれでは納得できないといったときに被害者に牙を剥くということです。
「これだけ身を粉にして裁定してやったのに俺に文句があるのか?」
と。
そうなると被害者はコミュニティから出ていくしかなくなります。

自分第一で対処法を探そう

冷静さと公正さをたもちながら、所属してるコミュニティ自身を批判しつつ、神のような裁定できる人間などそうそういません。そういう性質は組織で上に昇るためにはむしろ障害になるので更に確率は 下がります。そういう人でできる人はNPOを作ったり独立したりするでしょう。
組織内の裁定はあてにはなりません。なかなか難しいですが自力でなんとかする。味方してくれる組織を連れてくる(ユニオンなど)。別の次元にもっていく(警察への被害届、労使裁判、twitter反論は凄 い手でしたね)さっさと見切りをつけるなどの自分第一の対策を考えましょう。

卒母はしてもいい。だが賠償責任を放棄するのは辞めてほしい

卒母が流行ってるの?

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女優の三田佳子が卒母を宣言し賛否両論があるらしい。
私は卒母をする分には問題がないと思う。いや、過保護にすべきではない。この手のお金はあるが子供の相手をする暇がない家庭は、愛情をあたえずただ過保護にして問題児を生み出すことが多い。また、社会に出た人間をいつまでも子供の面倒を見ていてはいけない。

忘れてはいけない事件

だが卒母しても子供の人格を形成した過去の責任が消えるわけではない。
新幹線の乗客の女性をいきなり刃物で傷つけ、助けに入った男性を刺殺した新幹線殺人事件は記憶に新しいだろう。その際、実父は事件に遺憾の意を表したが父親としての責任を逃れるように「本人が一成人として一生をかけて償ってほしい」と言った他人行儀なコメントをして世間の非難を浴びた。実父とどうしてもうまくいかず親戚に預ける「卒父」状態だったようだ。たまに大きな事件があったときに、親が本人が成人してるんで関係ないですというようなコメントをなんどか目にしていることだろう。

卒父卒母と被害者への賠償責任は別

親と子の成長や安全のために卒父卒母するのは良いことだ。だが、それで過去に子供にしてきたことまで精算されるわけではない。
そして、残された被害者家族にとって、そんなモンスターを生み出した家庭に責任が無いなどと言われて納得できるものではない。
卒母には賛成するが、賠償責任を逃れようとする口実に卒父卒母という言葉を使われては被害者が困る。